コンテナに学ぶ産業変革

いつの時代もどんな業界においても、顧客は常に「うまい、やすい、はやい」を求め続け、ビジネスはそんな顧客ニーズをより良く満たすために技術開発、設備投資、改善活動を繰り返します。そして、多くの場合、1社のみで顧客ニーズを最初から最後まで全てを満たすことができないため、それぞれの得意分野に特化した企業が連携して複雑なバリューチェーン(=企業間連携体制)を構築します。

バリューチェーン内の連携をスムーズにすたるめ、標準規格が作られ、設備投資が共通化され、システムとデータが接続され、ビジネス慣習が生まれます。摩擦が極小化されたバリューチェーンは一つの企業体のように振る舞い、日々の地道な改善活動によって顧客ニーズを満たし続けます。バリューチェーン内の各企業の栄枯盛衰はあれど、最適化されたバリューチェーン自体が根本的に大きく変わることは滅多にありません

そんなバリューチェーンは次第に硬直化して、進化し続ける顧客ニーズをいつのまにか満たさなくなりますが、顧客は多くの場合それに気付かないか、気付いても他に選択肢が無いため問題にしません。バリューチェーン全体がイノベーションのジレンマに陥っているとも言えます

情報産業においてはデバイスシフトがその都度新しいバリューチェーンの素地を作ってきました。オフライン→PC→スマホとデバイスが変わる中で、企業の顔ぶれはもちろんビジネスプロセスやビジネスモデル(課金モデル)自体も大きく変わっていきました。今後、AR/VRが台頭すると、また大きく変わるかもしれません。

一方、他の産業においてはなかなかパラダイムシフトが起きづらい状況が続いています。例えば、不動産業界、金融業界、医療業界、化学業界においては、個別の技術革新はあれど、バリューチェーン全体を変えるようなパラダイムシフトはあまり起きていないようです。その証左にそれぞれの業界の主要な顔ぶれは何十年も変わっていません(これは日本だけでなく他先進国でもほぼ同様です)。

このような業界において、既存のバリューチェーンはどのように刷新されるのだろうか?といろいろ考えていた際に、少し前の物流業界において示唆に富んだ事例に出会いました。

コンテナ革命がもたらした産業変革

物流業界は、1950年代にコンテナという「テクノロジー」によってパラダイムシフトが起き、その規模・産業構造・企業などの構成要素が劇的に変化しました。「コンテナ革命」と呼ばれるそのパラダイムシフトは、20世紀最大のイノベーションの1つと評され、物流業界だけでなく世界経済に多大な恩恵をもたらしました。

詳しくは、「コンテナ物語(マルク・レビンソン著)[1]」という名著に書かれていますが、その概要を要約すると、

  • 1950年代までモノは主に木箱、麻袋などに詰め込まれ、バラ荷としてトラックや鉄道や船で運ばれていた。特に港での荷役は重労働、危険労働であり、また膨大な時間を要していた(荷役に数日~1週間、下手すれば航海日数より港での滞留日数のほうが長かった)。結果として、物流コストの約50%が両端の港での荷役にかかっていた
  • 当時、トラック運送業を営んでいたマルコム・マクリーン(Malcom McLean)という事業家が、来たる国際貿易の成長を見込んで海運事業に参入。そして、トラックの荷台をそのまま船に詰め込めたら便利だと考え、様々な実証実験を経て、コンテナ輸送事業を開始。
  • コンテナ輸送は、港での荷役が圧倒的に削減できる一方、導入にあたっては専用船、クレーン設備、港湾労働者の賛同、共通規格、など要件が多かった。これらの要件が揃わないうちは、従来のバラ積みのほうが安価・確実で、多くの荷主はコンテナ輸送に興味を示さなかった
  • しかし、マルコムの先見性と戦略が功を奏し(後述)、1950年代後半から小規模ながらコンテナ輸送が使われ始める。
  • 小規模ながらコストと時間のメリットが検証されるとコンテナ輸送は荷主・海運会社に次第に受け入れられ、じきに専用船やコンテナターミナル港が建設され、国際統一規格が批准され、ベトナム戦争での特需も相まって1960年代後半から普及していった。
  • 本格普及したコンテナ輸送はバラ荷と比較して輸送コストを1/40以下に押し下げたため、国際貿易が活性化し、需要が安定的に成長したことでコンテナ定期船が就航し、規模の経済を求めて船と港は巨大化・自動化し、正の循環に入ってさらにコストを押し下げ続けた。
  • コンテナ普及によって輸送コストが激減したため、グローバリゼーションが加速化し、中国が世界の工場と化し、コンテナは世界経済の確固たるインフラになる。また、輸送コストが下がったことで、製造拠点が内陸・地方にも移転し、地方経済の所得を引き上げた。

ただの鉄の箱に見えるコンテナですが、実はこれだけ巨大なインパクトを残しています。ちなみに、「コンテナ物語」は非常に面白い本なので強くお勧めします。(ビル・ゲイツ推薦図書でもあります)[2]

コンテナ革命の成功要因

輸送(物流)業界の顧客ニーズは、A地点からB地点へのモノの移動(+それに関わるサプライチェーンマネジメント、保管コスト等々の最適化)であり、1950年代までの物流業界はバラ荷という方法でこれを「うまく(確実に)、やすく、はやく」提供するために精を出していました。

コンテナを使って輸送するという発想自体は新しいものではなく、18世紀からあったと言われています。それでも1950年代まで普及しなかったのは、物流を取り巻く既存のバリューチェーン(荷主・運送会社・倉庫・船・港・トラック・運送会社等)がバラ荷に最適化されていたからです。

マルコム・マクリーンは稀代の実業家であり、多くの素晴らしい戦略を取っていますが、中でも次の2つはコンテナ革命に大きく寄与したと考えます。

1. 小さな市場で全体最適されたバリューチェーンを実現

コンテナ普及を難しくしていた最大の要因は、部分適用してしまうと一時的にデメリットが上回ってしまうことです。例えば、船だけコンテナ対応しても、それを受け入れる港や港湾労働者がコンテナ対応していないと輸送できませんし、トラック・鉄道との互換性が無いと何度も積み替えが必要になります。すると、バラ荷よりコストがかかってしまい、全く普及しません。コンテナ化したほうが良いと分かっていたとしても、産業全体がイノベーションのジレンマに陥っており、新しいパラダイムへの移行が進まない状況でした。

そこで、マルコムはコンテナ輸送を始めるにあたって、1960年にプエルトリコ航路に目を付けました。当時のプエルトリコ航路は小規模であったため参入する海運会社は無く、1社によるほぼ独占状態でした。マルコムはこの1社を買収し、プエルトリコ路線においてコンテナ輸送を実験しました。

最初は、荷主や港湾労働者からの抵抗はありましたが、なにせ独占路線なので有無を言わさず導入を進めました。先ずは、バラ荷船の甲板にコンテナをいくつか載せ、港での積み下ろしを検証し、そしてバラ荷船をコンテナ専用船に改修して積載容量を大幅に増やしてコストメリットを検証しました。結果的に、全体適用するとバラ荷の1/40のコストで輸送できることが判明しました。

一般的にスタートアップの定石として、PDCAを高速で回しながら最適化するという方法がありますが、産業変革スタートアップではバリューチェーン上の関連企業が多すぎてPDCAを回すにも自社ではやり切れないという難点があります。マルコムは自社でコントロールの効く市場に絞ることで、様々な抵抗勢力を制して有無を言わさず実証実験をして、これを乗り越えました。

これは以前ご紹介したフルスタックスタートアップと同じ概念で、こちらもバリューチェーンの最初から最後までを自社管理しており[3]、日本では例えばNewspicksが該当しますし、海外ではUber、Tesla、Harry’s、Netflixなどが有名です。

2. パラダイムシフトによって得する勢力の巻き込み

マルコムのもう一つの英断は、バリューチェーンの中で最もボトルネックとなり得る「港湾」において、強力なパートナーを巻き込んだことでした。

プエルトリコ路線でコストメリットが実現できることが証明されると、いよいよ主要路線への展開を目指しますが、コンテナ化にあたってはガントリークレーン、コンテナ倉庫、トラックや鉄道線路の引き込みなど、膨大な港湾設備への投資が必要になります。競争が激しい主要路線で、全ての海運会社がバラ荷でやり続けている中、主要な港湾にとって新たな設備投資をするインセンティブは皆無でした。

そこでマルコムが目を付けたのが、弱小港湾もしくはそもそも港湾を持っていない自治体でした。当時、港湾は様々な産業と雇用をもたらす重要なインフラでしたが、規模の経済が効きやすいため、後追いでの参入が難しい状況でした。例えば、繁栄を極めるニューヨーク港に対して、川向かいにあるニューアーク(Newark)港は廃れた存在でした。

マルコムはニューアーク港に集中攻勢をかけて、コンテナ化を説得し、起死回生のための設備投資を促します。これが成功すると、サンフランシスコ港に海運を取られていた対岸のオークランドがコンテナ専門港を建設しました。こうして一発逆転を狙う弱小港湾やそもそも港湾を持っていない自治体を中心に、徐々にコンテナ港が整備されていきました。

マルコムが目指したのは、産業変革を望む一種の有志連合と言えます。既存の産業構造を打ち壊したいプレイヤーを味方につけ、運命共同体として共に変革を促していくことで、win-winの関係を作りました。バリューチェーンにおける役割が無くなることはありませんが、その役割を担うプレイヤーは大きく変わり得ることを示しています。

このように必然に思えるコンテナ革命の背景には、マルコム・マクリーンというビジョンと実行力を持った事業家、それに賛同した先駆者たちの存在が大きかったことが分かります。

もちろん、マルコムの一挙一足を正当化するつもりはなく、その過程には多くの失敗がありましたし、晩年には世界最大規模の海運会社まで育て上げた自社を、いくつかの失策によって経営破綻させてしまっています。しかし、その頃にはコンテナ化はマルコムという存在を超えた大きなうねりとなっており、その勢いは留まることなく、産業全体を変革させて今日に至っています。

 

現在の日本のスタートアップ環境においては、「産業変革(Industrial Transformation)」や「クロステック(xTech)」などと呼ばれる、非ネット業界における技術主導の産業変革が大きな波となっており、フィンテック(金融xIT)、リアルエステートテック(不動産xIT)、ヘルスケアテック(医療xIT)など、いわゆる産業変革系のスタートアップが増えています。

しかし、長年にわたって徐々に構築されてきた既存の業界構造を変革するのは容易ではありません。変革を難しくしているのは、一言でいえば既存のバリューチェーンであり、より具体的にはヒト(教育制度、研修制度、商慣習)、モノ(ハードウェア、ソフトウェア)、カネ(資金、決済)、キセイ(法律、国家)などの有形無形の様々な要素が現在の形で全体最適されているからと言えます。

コンテナ革命における成功要因はそんな産業変革における一つのヒントを示唆しており、全体最適を図るための企業連携、有志連合を結成するための業界理解とネットワークの重要性は今後ますます高まるだろうと感じています。また、コンテナという鉄の箱自体にテクロノジー優位性があったわけでは無く、それを活用した新たなバリューチェーン設計とエグゼキューションこそが成功要因だったことも示唆深いです。

そしてコンテナ革命とて過去の産物となり、自動運転、ロボット、3Dプリンティングなどの新技術の台頭により、物流業界においては新たな革命が起ころうとしています。これらの技術を活用した次の産業革命がどのような形になるのか、そのヒントは歴史が示してくれるような気がしてなりません。

[1] http://amzn.asia/1BSA2JI

[2] https://www.gatesnotes.com/About-Bill-Gates/Best-Books-2013

[3] http://www.emreyuasa.com/2015/04/95/

イーロンマスクの功績と素顔

イーロンマスクの功績と素顔に迫る書籍 「Elon Musk: Tesla, Space X, and the quest for the fantastic future」 のあまりの面白さに一気に読んでしまいました。イーロンマスク関連本は数多く出ていますが、こちらは本人協力を得た初の書籍であること、Bloomberg Businessweekの著名ライターであるAshlee Vanceが約3年間の取材を経て執筆したものであることから、発売前からかなり話題になっていました(日本語版は未発売)。

内容はビジネス本というよりかは伝記に近く、イーロンマスクの半生が詳細に記されています。Zip 2、X.com(PayPal)、Tesla、Space X、Solar Cityと数々のスタートアップを生み育ててきた軌跡は、決してメディアで報じられるような「1人の天才による偉業」で片づけられるようなものではなく、超人的なハードワークとビジョンとリーダーシップに支えられて、立ちはだかる数々の壁を1つ1つ越えながら作られたものでした。

イーロンマスクの軌跡

まるで映画のような彼の半生について簡単に纏めてみます。

  • 1971年に南アフリカで生まれたイーロンは、悪質なイジメ、劣悪な家庭環境、アパルトヘイトの閉鎖的社会の中で育った。高校卒業後、カナダ国籍の取得と同時に単身でカナダに移住し、自由と希望を求めてシリコンバレーを目指した。
  • 1995年、弟とともにZip 2を創業し、最初の3カ月はオフィスに寝泊まりをしながら一日中コードを書いていた。ドブ板営業で1社1社歩いて回って顧客開拓していき、強烈な意思と奴隷労働のようなハードワークで事業を拡大させ、1999年には$307MでCompaqに売却、イーロンは$22Mを手にした。
  • Zip2売却直後にX.comを立ち上げ、税引後のほぼ全財産である$12Mを投下。しかし、経営方針の違いから、創業5ヶ月で共同創業者がほとんどの従業員を引き連れて辞任。残った数人のメンバーで再建を果たし、ピーターティール率いるConfinityと激しい競争を繰り広げた。エンジニアは1日20時間働き、イーロンは23時間働き続ける日々を経て、2002年には競合であったConfinityと合併してPayPalに社名変更。
  • イーロンがPayPal CEOに就くも、合併後2カ月でピーターティールが辞任。イーロンに対する社内外の反発は大きく、イーロンがハネムーンに飛び立った瞬間にクーデターが勃発し、急いで帰国した時には既にピーターティールがCEOに就任していた。その後、PayPalは成長を続け、2002年にeBayに$1.5Bnで売却。筆頭株主であったイーロンは$250M(税引後 $180M)を得た。
  • Source: http://www.amazon.co.jp/dp/B00KVI76ZS
    Source: http://www.amazon.co.jp/dp/B00KVI76ZS

    2001年頃から、宇宙事業の勉強会を主催していたイーロンは、PayPal売却とともに$100Mを投じてSpace Xを創業。当初はロシア製のロケットで打ち上げる予定だったが交渉決裂し、自社で製造することを決意。ゼロからのロケット製造は想像以上に難航し、3回の打ち上げに失敗。残り1回分の資金しか残っていなかった。

  • 2003年、Tesla Motorsにエンジェル投資家として$6.5M出資。それ以降のラウンドでも、リード投資家として$9M、$12Mと大きく出資。しかし、ずさんなコスト管理のまま開発してきたため、$85,000で販売予定だったRoadsterの製造原価は$200,000まで膨れ上がっており、危機的状況に陥っていた。立て直すべく2008年には自らCEOに就任。
  • 2000年に結婚し、2002年には男の子が生まれるも生後10週間で突然死(PayPal売却と同じ週だった)。後に5人の男の子に恵まれるも、2008年には離婚。前妻はテレビで号泣したり、個人ブログに心境を綴ったりして、離婚裁判はメディアのネタにされ、イーロンは全米から叩かれた。
  • 2008年は、リーマンショック、Space Xの打ち上げ3連続失敗、Tesla Motorsの危機的状況、離婚裁判、の全てが襲いかかってきていた。夜中に無意識のうちに叫び出すほど追いつめられていたが、日中は両社を救うべく前向きに陣頭指揮を取り続けた。
  • 2008年、Tesla Motorsはコスト削減を最重要課題に掲げ、鬼のようなコスト削減活動を実施。朝7時からミーティングをして、日々コスト削減状況を報告させた。パフォーマンスが低い人は容赦なく解雇。それでも破産寸前まで追い込まれ、個人の残りの全財産をTesla Motorsに出資することを決意。そのコミットメントを見た投資家からの資金と合わせて$40Mを調達。入金があったのは資金が尽きる前日。2008年のクリスマスイブだった。
  • 同じく2008年、Space Xの4回目の打ち上げ実験が成功。しかし資金難は続き、破綻寸前。ギリギリのタイミングで、NASAから$1.6bnのプロジェクトを受注。12/23だった。
  • Tesla Motorsは2010年に上場。2012年にModel Sを発表し大量の予約が殺到するも、いざ販売がスタートとするとキャンセルする顧客が続出。工場稼働率は低下し続け、2013年には完全ストップ。イーロンは、全従業員に予約顧客への営業を指示し、同時にGoogleへの売却交渉を開始。キャッシュ残が数週間分というところまで追い込まれたが、全員営業が功を奏して業績回復、Googleへの売却は白紙に。
  • Space X、Teslaの経営の傍ら、SolarCity会長として世界最大の自然電力会社に導く。今日では、SolarCityが発電した電力を、Teslaのバッテリーで蓄電し、それをTeslaの車に充電するというサイクルを確立。TeslaとSpace X間での原材料仕入れや製造工程におけるシナジー効果も大きく、イーロンが関わる3社間でのエコシステムを作り上げている
  • Tesla Motorsは$5Bnを投じて世界最大のバッテリー工場Gigafactory 1を建設開始。2017年稼働開始を予定しており、2020年のフル稼働時は、2013年の全世界のリチウムイオン電池の生産量を上回る生産量を目指す。(なお、Gigafactory 2建設の噂も出ており、最有力候補地として日本が挙げられている)。
  • Space Xは、部品の80-90%を自社製造することで圧倒的な低価格を実現。実績が積み上がるにつれて、次々と大型案件を受注。2012年にはISSへのドッキング成功。(2015/5/27には米軍衛生案件への入札承認を取得)。
Source: Space X
Source: Space X

イーロンマスクはなぜ成功できたのか?

これだけ成し遂げてまだ43歳というのが信じられないぐらいですが、近年の輝かしいニュースとは裏腹に、ここまでの道のりは非常に過酷なものだったことが分かります。難しくて誰も挑戦しないような領域に敢えてオールインで飛び込み、危機のたびにハードワークで乗り越えてきた姿は、ビジネス版のスーパーヒーローと言えるかもしれません。

彼の成功には、(プロダクトでなく)システムレベルのデザイン思考、ビジネスセンスとデザインセンス、多領域における膨大な知識、超人的なハードワーク、度胸、など様々な要因があるのは間違いないですが、最もインパクトが大きいのは「超優秀な人材を惹きつけ、120%の力で働いてもらうリーダーシップスタイル」だと思います。多領域でここまで勝ち続けられるのは、継続的に人を焚きつけ力を引き出す仕組みを持っていたからでしょう。

その仕組みの1つの要素は、人類という種の生存まで立ち返るような壮大なミッションです。イーロンは、人類の生存に欠かせないエネルギーを化石燃料という有限かつ有害なモノに依存していることがリスクである、と唱えています。そのために、Tesla MotorsとSolarCityは自然エネルギー社会の確立を目指しています。また、外部的要因で地球が生存に適さなくなるリスクもあることから、人類は複数惑星での居住しリスクを分散させる必要があり、その実現に向けてSpace Xは宇宙空間における低価格・高頻度の輸送体制の確立を目指しています。

「種の生存」という壮大なミッションの前には、140文字で投稿できるサービスや写真を共有し合うサービスはどうしても霞んでしまうのが人間心理です。優秀な人であればあるほど、大きなミッションに貢献したいという気持ちが強いでしょう。人材獲得競争が激化するシリコンバレーで、Space XやTeslaが、Google、Apple、Facebookなどから次々と優秀エンジニアを引き抜けるのは、そんなミッションに魅力を感じていることも大きな要因だと思います。

一方で、夢物語やハリボテに思われがちな壮大なミッションに現実味を持たせているのが、イーロン自身の異常なまでのハードワークとリスクテイクです。X.com時代は1日23時間働き、今でも2社の経営のため昼夜なく働き続けています。また、売却益で楽な生活をしようという発想は全く無いらしく、売却のたびにほぼ全財産を次のスタートアップにオールインしています。盲目的ともいえるほどにミッション実現に向けて突き進んでいく姿勢が、優秀な人材に伝播するのでしょう。

そして、イーロンはそのハードワークを容赦なく他人にも求めます。例えばSpaceXでは、外部調達では$120,000かかる部品を、$5,000ドルで内製化するよう指示を出しています。プロジェクトの期限も、全てがスムーズにいく前提でスケジュールを組み、その上で全員が超ハードに働く前提でさらに前倒しをして、最終的な期限を決めます。パフォーマンスが低い人は容赦なく解雇し、パフォーマンス高い人は次々と昇進させます。

面白いのは、ハードワークを求めるときに、「○○をやれ!」と命じるのではなく、「○○をやる必要がある。君ならできるか?」と聞くことです。オーナーシップ感覚を持たせることで、その人のやる気に火を付けるのでしょう。

本書を読むと、イーロンの強みが先天的なものではなく、自身の生い立ちや経営者として経験を積む過程で徐々に磨かれたものであることが分かります。幼少期に執拗なイジメに遭い、Zip 2では多くのコアメンバーに逃げられ、PayPalではクーデターを起こされたことからも、当初から人望が厚いわけでは決して無かったことが分かります。彼の歩んできた道筋は死屍累々で、今でも敵は多いでしょう。

それでも、スタートアップによる参入が不可能と思われていた自動車、ロケット、電力業界において全く新しいカタチの事業を立ち上げ、生き残るだけでなく、業界構造を変えてしまうほどの変革を起こしています。もしかしたら、イーロンマスクの最大の功績は、不可能を実現してしまったことで、人類の未知なる可能性を体現していることかもしれません。

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